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あなたも酒がやめられる 第1弾 徳川夢声 いったん停酒の勧め

あなたも酒がやめられる 第1弾 徳川夢声 いったん停酒の勧め

【目次】
「彼氏」という言葉の生みの親
徳川夢声というすごい人
失職、伴侶を亡くしアルコール依存症
「断酒」ではなく「いったん停酒」を始める
その後
まとめ

はじめに

この「あなたも酒がやめられる」シリーズでは、アルコール依存症を、それぞれその人のやり方で克服した人物を紹介していきます。第一回目の今回は、「あなたも酒がやめられる(文藝春秋新社 1959)」の著者でもある徳川夢声氏 (1894~1971) です。

徳川氏の人生や著書の一部を紹介しながら、徳川氏が著書で述べている、「いったん停酒」という「やめかた」について考えていきたいと思います。

彼氏の生みの親

突然ですが、「彼氏」と言葉をご存じですか?カレ↗シ↘と高さを変えて発音するか?「カレシ」と短く切るか、「彼氏さん」と、「さん」がついたりと、いろんな諸事情(何の?)で、同じ彼氏と呼ぶにも、いろいろあるようです。この言葉を作ったのが徳川夢声です。昭和を代表するマルチタレントで、映画の弁士(サイレント映画の職業的解説者)・ラジオやテレビの司会者・俳優・作家として活躍、多くの人に愛されました(NHK人物録より)。

徳川夢声というすごい人

彼氏(カレシ)や恐妻家などの言葉を創り、ユーモアのある語りが好評で戦後はTVでお茶の間の人気者、とても博識でたくさんの著作もあります。戦前,戦中の鬱屈とした時代に、持ち前の博識とユーモアで人々の気持ちを和ませました。

直木賞の候補になったり、文藝春秋読者賞を受賞したり、大人気であったNHKラジオ「宮本武蔵」の実演で芸術祭賞受賞したりと、多方面で評価を受け、晩年には東京都名誉都民・勲四等旭日小綬章を受けた人です。

1965年(昭和40年)には愛知県犬山市にオープンした博物館明治村の初代村長となるなど、愛知県にもゆかりがあります。

失職、伴侶を亡くしアルコール依存症

そんな徳川氏ですが、決して順風満帆な人生では、なかったようです。

徳川氏は、サイレント映画の台詞や説明をする「弁士」という仕事をしていました。関東大震災で、職場の劇場が炎上、一夜にして消失。そこに持ってきて世の中も移り、トーキー映画が普及してきて、弁士の仕事を完全に失います。思い悩むうちに、20歳代にアルコール依存症となり、妻も亡くし、妻の葬式でも酔い潰れ、血を吐き、入院となり危篤状態にもなりました。

その後も酒や薬用アルコールや睡眠薬などの大量服用で7回入院しています。アルコール依存症の影響で、糖尿病、腎臓炎,血便、幻覚までも患いました。

そのような日々を続けるうちに、30才頃から禁酒を宣言します。

「断酒」ではなく「いったん停酒」を始める

では、徳川氏はどのように禁酒を進めたのでしょうか?ちなみに、著書「あなたも酒をやめられる」では、断酒と言わないで、「いったん停酒」と名付けました。ここがポイントです。

戦後も昭和30年台までは、停電がしょっちゅうありました。飲酒もこれと同じにしようということですね。また、当時は交通安全がとても叫ばれていた時代だったので、「一旦停止」になぞらえる意味も込めて「一旦停酒」という言葉を作りました。徳川氏のユーモアと知恵が感じられます。

では、停酒の実際はどうだったのでしょうか?「あなたも酒をやめられる(文藝春秋新社 1959)」を見ていきましょう。

「飲んでいない,いったん停酒と考よう。禁酒などと宣言すると3週間くらいでダメになる。きまりの悪い思いをする」

「何度も何度も禁酒を誓い、永久に禁酒だ、死ぬまで1滴も飲まんぞ、というのは、一見,立派で潔いけれども、甚だ不自然だ。ドーシテモ飲みたくなったら、いつでも俺は飲む。ドーシテモ、このドーシテモが意味深長なのだ。問題は、このドーシテモの限界をどこに置くか?ココデスと言うはっきりした選はない。」(p21)

「暴酒、急性の症状を呈する自分が飲んで苦しむのだから、苦しみ、死にたくなってしまう。いつでも飲めるんだ!と思えば、停酒の心理の苦痛は殆ど解消される。他から強制されることではなく、自分の自由意志なのだ。禁酒仕るべく何も友人や世間に誓うことはない。自分自身に誓うことである。禁酒宣言など友人や世間になんかにしたら、酒を飲むときは、こっそり隠れて卑屈な思いをして,酒を飲まなければならない。ドーシテモ。」(p22)

30代の徳川氏はこのように考え、昭和23年(1948)から停酒を始め、昭和26年7月から1適も酒を飲まなかったそうです。徳川氏のスタンスは、「禁酒」でも「断酒」でもありませんでした。「いったん停酒」です。

「先を考えると不安になる。明日はどうなるか分からない、しかし、今日1日は自分の意思で酒をやめる。誰かに強制された訳でもないし,酒を飲もう思えばいつでも飲める」といったスタンスで、一日一日、停酒を積み重ねていったのだと想像します。

「気負わず、今日1日。」「一日断酒、just for today」「今日だけ断酒」など、断酒会やAAなどの自助グループでも大事にされている言葉に通じるところがありますね。この考え方は、その減酒治療にも通じるところがあるように思います。

最近では、薬物療法で、断酒ならシアナマイド、ノックビンです。断酒治療だけではなく、減酒治療という選択肢が出来ました(詳しくはこちら)。減酒治療なら、レクテクト、セリンクロというお薬が使用できます。

その後

再婚した伴侶に、子供が授かり、幼い子供を見て「この子が成長するまで、自分は生きていられるだろうか?」と、心配になっていましたが、後年、イギリスに特派員として、エリザベス女王の即位式に参列し、その帰りに、アメリカに寄り、アメリカ在住の娘と孫に会ってくるなど、健康をすっかり取り戻されたようです。

1971年(昭和46年)8月1日に脳軟化症と肺炎を併発して死去。77歳没。

最期の言葉は「おい、いい夫婦だったなあ」であったそうです。

まとめ

 いかがでしたでしょうか。

 今回は、徳川夢声氏の生涯や著書を見ながら、「いったん停酒」というスタンスについて、考えていきました。

 自分なりの方法や考え方で酒をやめることが出来た人たちの「知恵」「工夫」を、治療者として、大切にしていきたいと思いました。次回もお楽しみに。

 なお、当院でも、アルコール依存症のグループ療法、減酒外来を行っています(詳しくはこちら)。興味がおありの方は、一度、医師にご相談ください。

 

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監修

加藤 正
加藤 正医療法人和心会 あらたまこころのクリニック 院長
【出身校】名古屋市立大学医学部卒業
【保有資格】精神保健指定医/日本精神神経学会 専門医/日本精神神経学会 指導医/認知症サポート医
【所属】日本精神神経学会/日本うつ病学会/日本嗜癖行動学会理事/瑞穂区東部・西部いきいきセンター
【経歴】厚生労働省認知行動療法研修事業スーパーバイザー(指導者)の経験あり。2015年より瑞穂区東部・西部いきいきセンターに参加し、認知症初期支援集中チームで老人、高齢者のメンタル問題に対し活動を行っている。日本うつ病学会より「うつ病の薬の適正使用」のテーマで2019年度下田光造賞を受賞。
【当院について】名古屋市から、「日本精神神経学会から専門医のための研修施設」などに指定されている。