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2020.07.25 アルコール依存症

あなたも酒がやめられる 第1弾 徳川夢声 いったん停酒の勧め

あなたも酒がやめられる 第1弾 徳川夢声 いったん停酒の勧め

【目次】
「彼氏」という言葉の生みの親
徳川夢声というすごい人
失職、伴侶を亡くしアルコール依存症
「断酒」ではなく「いったん停酒」を始める
その後
まとめ

はじめに

この「あなたも酒がやめられる」シリーズでは、アルコール依存症を、それぞれその人のやり方で克服した人物を紹介していきます。第一回目の今回は、「あなたも酒がやめられる(文藝春秋新社 1959)」の著者でもある徳川夢声氏 (1894~1971) です。

徳川氏の人生や著書の一部を紹介しながら、徳川氏が著書で述べている、「いったん停酒」という「やめかた」について考えていきたいと思います。

彼氏の生みの親

突然ですが、「彼氏」と言葉をご存じですか?カレ↗シ↘と高さを変えて発音するか?「カレシ」と短く切るか、「彼氏さん」と、「さん」がついたりと、いろんな諸事情(何の?)で、同じ彼氏と呼ぶにも、いろいろあるようです。この言葉を作ったのが徳川夢声です。昭和を代表するマルチタレントで、映画の弁士(サイレント映画の職業的解説者)・ラジオやテレビの司会者・俳優・作家として活躍、多くの人に愛されました(NHK人物録より)。

徳川夢声というすごい人

彼氏(カレシ)や恐妻家などの言葉を創り、ユーモアのある語りが好評で戦後はTVでお茶の間の人気者、とても博識でたくさんの著作もあります。戦前,戦中の鬱屈とした時代に、持ち前の博識とユーモアで人々の気持ちを和ませました。

直木賞の候補になったり、文藝春秋読者賞を受賞したり、大人気であったNHKラジオ「宮本武蔵」の実演で芸術祭賞受賞したりと、多方面で評価を受け、晩年には東京都名誉都民・勲四等旭日小綬章を受けた人です。

1965年(昭和40年)には愛知県犬山市にオープンした博物館明治村の初代村長となるなど、愛知県にもゆかりがあります。

失職、伴侶を亡くしアルコール依存症

そんな徳川氏ですが、決して順風満帆な人生では、なかったようです。

徳川氏は、サイレント映画の台詞や説明をする「弁士」という仕事をしていました。関東大震災で、職場の劇場が炎上、一夜にして消失。そこに持ってきて世の中も移り、トーキー映画が普及してきて、弁士の仕事を完全に失います。思い悩むうちに、20歳代にアルコール依存症となり、妻も亡くし、妻の葬式でも酔い潰れ、血を吐き、入院となり危篤状態にもなりました。

その後も酒や薬用アルコールや睡眠薬などの大量服用で7回入院しています。アルコール依存症の影響で、糖尿病、腎臓炎,血便、幻覚までも患いました。

そのような日々を続けるうちに、30才頃から禁酒を宣言します。

「断酒」ではなく「いったん停酒」を始める

では、徳川氏はどのように禁酒を進めたのでしょうか?ちなみに、著書「あなたも酒をやめられる」では、断酒と言わないで、「いったん停酒」と名付けました。ここがポイントです。

戦後も昭和30年台までは、停電がしょっちゅうありました。飲酒もこれと同じにしようということですね。また、当時は交通安全がとても叫ばれていた時代だったので、「一旦停止」になぞらえる意味も込めて「一旦停酒」という言葉を作りました。徳川氏のユーモアと知恵が感じられます。

では、停酒の実際はどうだったのでしょうか?「あなたも酒をやめられる(文藝春秋新社 1959)」を見ていきましょう。

「飲んでいない,いったん停酒と考よう。禁酒などと宣言すると3週間くらいでダメになる。きまりの悪い思いをする」

「何度も何度も禁酒を誓い、永久に禁酒だ、死ぬまで1滴も飲まんぞ、というのは、一見,立派で潔いけれども、甚だ不自然だ。ドーシテモ飲みたくなったら、いつでも俺は飲む。ドーシテモ、このドーシテモが意味深長なのだ。問題は、このドーシテモの限界をどこに置くか?ココデスと言うはっきりした選はない。」(p21)

「暴酒、急性の症状を呈する自分が飲んで苦しむのだから、苦しみ、死にたくなってしまう。いつでも飲めるんだ!と思えば、停酒の心理の苦痛は殆ど解消される。他から強制されることではなく、自分の自由意志なのだ。禁酒仕るべく何も友人や世間に誓うことはない。自分自身に誓うことである。禁酒宣言など友人や世間になんかにしたら、酒を飲むときは、こっそり隠れて卑屈な思いをして,酒を飲まなければならない。ドーシテモ。」(p22)

30代の徳川氏はこのように考え、昭和23年(1948)から停酒を始め、昭和26年7月から1適も酒を飲まなかったそうです。徳川氏のスタンスは、「禁酒」でも「断酒」でもありませんでした。「いったん停酒」です。

「先を考えると不安になる。明日はどうなるか分からない、しかし、今日1日は自分の意思で酒をやめる。誰かに強制された訳でもないし,酒を飲もう思えばいつでも飲める」といったスタンスで、一日一日、停酒を積み重ねていったのだと想像します。

「気負わず、今日1日。」「一日断酒、just for today」「今日だけ断酒」など、断酒会やAAなどの自助グループでも大事にされている言葉に通じるところがありますね。この考え方は、その減酒治療にも通じるところがあるように思います。

最近では、薬物療法で、断酒ならシアナマイド、ノックビンです。断酒治療だけではなく、減酒治療という選択肢が出来ました(詳しくはこちら)。減酒治療なら、レクテクト、セリンクロというお薬が使用できます。

その後

再婚した伴侶に、子供が授かり、幼い子供を見て「この子が成長するまで、自分は生きていられるだろうか?」と、心配になっていましたが、後年、イギリスに特派員として、エリザベス女王の即位式に参列し、その帰りに、アメリカに寄り、アメリカ在住の娘と孫に会ってくるなど、健康をすっかり取り戻されたようです。

1971年(昭和46年)8月1日に脳軟化症と肺炎を併発して死去。77歳没。

最期の言葉は「おい、いい夫婦だったなあ」であったそうです。

まとめ

 いかがでしたでしょうか。

 今回は、徳川夢声氏の生涯や著書を見ながら、「いったん停酒」というスタンスについて、考えていきました。

 自分なりの方法や考え方で酒をやめることが出来た人たちの「知恵」「工夫」を、治療者として、大切にしていきたいと思いました。次回もお楽しみに。

 なお、当院でも、アルコール依存症のグループ療法、減酒外来を行っています(詳しくはこちら)。興味がおありの方は、一度、医師にご相談ください。

 

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監修

加藤 正医療法人和心会 あらたまこころのクリニック 院長
医療法人和心会 あらたまこころのクリニック 院長/名古屋市立大学医学部卒業
保有資格 / 精神保健指定医、日本精神神経学会 専門医、日本精神神経学会 指導医、認知症サポート医
所属学会 / 日本精神神経学会、日本うつ病学会、日本嗜癖行動学会理事、厚生労働省認知行動療法研修事業スーパーバイザー(指導者)の経験あり。日本うつ病学会より「うつ病の薬の適正使用」のテーマで2019年度下田光造賞を受賞。
クリニック/名古屋市からアルコール依存症専門医療機関、日本精神神経学会から専門医のための研修施設などに指定されている。